学術界と産業界をブリッジするデザイン&エンジニアリング企業。
株式会社構造計画研究所
代表執行役会長 服部 正太
東京都出身。1982年東京大学大学院修了、1985年マサチューセッツ工科大学大学院修了、同年ボストンコンサルティンググループへ入社。その後、1987年構造計画研究所入社。1991年取締役。2002年代表取締役社長。2019年代表執行役社長。2021年8月11日付で現職に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
産学連携から生み出される「工学知」で社会課題の解決に挑む。
私たちは、大学・研究機関に存在する「学問知」と、産業界で実践されている「経験知」、その両者を掛け合わせることで「工学知」を生み出し、社会の課題を科学的に解決する「解」をつくり出す会社です。現在は『建設・防災分野』、『情報通信分野』、『設計・製造分野』、『意思決定支援分野』の4つの分野でプロジェクトを進めています。
例えば『建設・防災分野』では、免震・制振・耐震技術を使った超高層ビルなどの構築物や特殊建築物の構造設計に豊富な実績を持つリーディングカンパニーです。また災害による建物被害や避難計画、河川氾濫のシミュレーションなど、防災・減災ソリューションにも力を入れることで被害を最小限に食い止め、できる限り早く日常を取り戻す力を社会に提供しています。
また『情報通信分野』では、通信プロトコルレベルでの研究開発など強固な通信環境の整備や、GPS・通信技術を利用した交通機関の運行状況管理・通知システムなど社会インフラの整備にも取り組んでいます。
テクノポリス構想を発端として熊本で育ち、産業の発展を支える。
創業の経緯ですが、東京工業大学で構造設計の研究に携わっていた私の父である服部正(まこと)が、「大学の研究成果を社会に還元する橋渡しとしての役割を担いたい」という理念のもと、1959年に株式会社構造計画研究所(以下:KKE)が設立されました。
当時は構造計算に膨大な時間がかかっていたことから、その多忙さを解消し、より価値のある仕事に専念するため、業界に先駆けて最新鋭のデジタルコンピュータIBM1620を導入しました。レンタル代だけで月額60万円、初任給が1万2,000円の時代にです…。これを機に、エンジニアリング向けソフトウェアやパッケージソフトの開発にも取り組み、構造計算に留まらず多様な分野へと事業を展開していきました。
また、1984年に通産省(当時)が提唱していた「テクノポリス」構想に賛同し、細川護熙熊本知事(当時)のご協力を受け、熊本県大津町にソフトウェア開発の拠点を開設しました。父はテクノポリス構想を実現しようと考えていた矢先の1983年に亡くなったのですが、所員の方たちが意志を引き継いでくださり、阿蘇を一望できる場所に熊本構造計画研究所が誕生しました。1961年の熊本城再建プロジェクト以来の当社と熊本との縁が、再び形となったのです。
熊本拠点の開設により、熊本の優秀な人材が当社に参画し、成長を支えてくれました。KKEは熊本で育ったといっても過言ではありません。取締役や副社長をはじめ役員のうち5名は熊本県出身、熊本大学出身者は34名と多数活躍しています。
100年企業を目指し、採用・事業再構築・新規ビジネスへの投資に力を注ぐ。
2021年7月には、これまで携わってきた日常の業務を現社長に引き継ぎ、会長に就任しました。今後、私は4つのテーマに専念しようと考えています。1つは「採用活動」。2つ目は私が始めた「意思決定支援分野の再構築」。3つ目は「100年企業を目指す上での事業検証」、最後が「新規ビジネスへの投資事業」になります。
以前は大学研究機関との協働が多かったのですが、21世紀に入ってから海外の尖った企業との連携が多くなりました。主に海外企業を中心とした新規ビジネスにおいては今期の売り上げが10億円を突破し、全社売り上げの1割近くを占めるまで急成長しています。当社のニッチな既存事業を着実に成長させつつ、新しいビジネスがどんどん立ち上がってきているのは非常に面白いと思っています。
2015年に当社と業務提携を開始した、ドイツを代表するNavVis社の成長は目を見張るものがあります。まだ設立して8年程ですが、社員数は約220名以上に成長し、ダイムラーやBMW、BOSCH、Siemensなどの大企業を顧客として事業を拡大しています。
屋内3Dデジタル化サービスを提供し、日本市場ではバーチャルショールームや屋内ナビゲーション、施設維持管理など屋内空間の情報化による価値を提供しています。現在は、福島第一原子力発電所内の建屋内調査でも活用されています。今後は、当社が持つ他テーマへの波及効果など多面的な展開が期待できることから、さらに力を入れていきたいと考えています。
21世紀の日本を代表する『知識集約型企業』を目指して。
当社のミッションとしては、21世紀の日本を代表する『知識集約型企業』を掲げています。情報社会から知識社会への移行に伴い、企業にとっての人の位置づけが、経営のリソースとして扱う“人材”から“人財”へ、更には、個人のタレントに着目する“人才”へと変化してきています。企業が知識創造企業として持続的に成長していくには、事業の戦略やプロセスもさることながら、多様な人才を採用・育成・モチベートし、評価するための知識創造基盤をしっかり構築することが重要となります。
採用に関しては以前から重要性を強く感じており、2002年に元リクルートフェローの藤原和博氏とともに採用活動を大きく見直し、優秀な人才を集めてきました。2014年からはシンガポールでも採用活動を行い、現在も外国籍の所員は35名程在籍しています。こうした異なる文化や経済圏の経験を持つ人才の参画は、当社における多様な価値観の融合による組織の活性化や新たな事業展開に繋がっていくと考えています。
また、人事評価制度にはMBO(Management by Objectives)やMBB(Management by Belief)を取り入れました。人は誰しも仕事や人生に対する強い思いを持っています。MBBでは、自分の思いをミッション・ビジョンとして言語化し、上司とのコミュケーションを通して会社や社会が求める方向性とすり合わせることで、一人ひとりの思いの高質化を図っていきます。
創業時からのDNAを大事にし、成長・活躍の場を提供。
優秀な人才の育成にあたっては、米国スタンフォード大学や省庁、外部研究機関への出向など、社内外を含めた様々な活躍の場を提供することで、多様な成長機会の提供を行っています。一例として東京大学のEMP(エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)など、社外研修を受講する機会も多く提供しています。
ただ、最も重要なことは企業や大学の先生などお客様と付き合って、いい仕事を通して成長することです。また、定年制の廃止や限定社員制度(勤務地限定、時間限定)、部門の新設・統廃合や福利厚生面の拡充を通じて、優秀な人才がより魅力的な環境で活躍できるような場の整備にも力を入れています。
創業者である父は、創業当時の熊本城再建工事に先立って行われたボーリング調査で、支持地盤の確認のため自らバケツに乗って地中40mまで降りたといいます。自身の仕事を完遂するためには、自ら動き、自らの目で確かめる。そうした徹底ぶりやプロフェッショナルとしての矜持と情熱は、今も当社の所員一人一人に受け継がれていますね。創業から変わらないKKEのDNAは今後も大事にしていきたいです。
人と人とのつながりから、ビジネスの種(社会のニーズ)を探す。
当社では、机上のみならず自らが汗をかき社内の関係各所と連携できる所員や、企業や大学の先生、海外のパートナーなどと積極的にコミュニケーションを取って新たなビジネスの種(社会のニーズ)を見つけてくるような人才が活躍しています。面接時には「当社の組織をどう活用して、どのように自分自身の人生を作っていきますか?」ということを常に聞いて、一緒に働きたいかどうかのフィーリングを大事にしています。
最近は取引先の企業に勤められている方が、「いい会社だから」とお子さんにKKEを薦めてくださるなど、親子のご縁も多いです。また、アルバイトに来ていた学生が入社してくれることもあります。当社の悪いところもわかっているはずなのですが、それでも応募してくれるのは本当に嬉しいですね。