Uターン・Iターン転職 その後のREAL

株式会社再春館共創ラボラトリー 長崎 望さん

「熊本ならできる」と信じて10年。年収半減、COOを経て、自分らしい未来に近づいてきた。

株式会社再春館共創ラボラトリー

長崎 望さん

神奈川から熊本へ/2016年1月入社

更新日:2026年10月21日

※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

プロフィール

大阪府出身。新卒でシャープ株式会社に入社、熊本営業所で太陽光発電事業に従事。その後SBエナジー株式会社に転職し、再エネの開発、電力小売事業の立ち上げを担当。2016年1月、妻の実家がある熊本県へ移住、水質環境・食品検査などを行う株式会社再春館安心安全研究所に転職。営業や経営企画、人事を担当したのち、入社7年目にCOOに就任。2年間務めたのち、2024年6月、社内新規事業を機に株式会社再春館共創ラボラトリーへ転籍。現在はバイオサイエンス事業部で、微細藻類「イシクラゲ」の化粧品原料化や、海藻「アカモク」の養殖など、地域の自然資源を活かした新規事業の創出に取り組み、環境や地域が持つ長期的な課題の解決を目指している。

はじめに

インタビュアー

転職から10年が経ちましたが、今振り返ってみて、率直にいかがですか?

長崎さん

自分にとっては良い選択ができたのかなと思ってますし、あのとき熊本に来ることを決めていなかったら、今の自分はどうなっていたんだろうと思います。ただ、ずっと順調だった訳では当然なくて。

熊本に来た当初は、給料が半分程度になった時期もありましたし、経営を担う立場になって悩んだ時期もありました。

それでも、熊本に来たときに「こういう未来を実現したい」と思っていたものに、今はかなり近いところまで来ている感覚があります。

「このまま東京で働く人生で良いんだっけ」――仕事と家族、両方から転職を考え始めた

インタビュアー

あらためて、転職を考え始めたきっかけから教えてください。

長崎さん

前職はソフトバンクグループのSBエナジー株式会社という会社で再エネの開発をしていたんですが、電力自由化の流れがあり、ソフトバンクグループとしての電力小売事業の立ち上げを担当し、契約数を伸ばすという新規開拓業務も行っていました。

自分たちで直接営業に行ったり、通信事業の営業に対して、電力の売り方や買い方を全国行脚しながら説明したりしていました。日経新聞に連日取り組みが載ったりして、とてもエキサイティングな経験でしたね。

ただ、私としては再生可能エネルギー100%の電力だけを売りたかったんですが、事業が大きくなるにつれて、それだけでは今すぐどうにもできない事情もよく分かってきて、方針が変わっていったんです。

すると、再エネに魅力を感じていた人たちもだんだん離れていって、私自身も、このプロジェクトを続けるのかすごく悩みました。正直、電力インフラ自体に興味があった訳ではなくて、ソフトバンクが再エネの影響力をどう高めるかに関心があったので、それならここにいる意味もないんじゃないかと考え始めたわけです。

インタビュアー

転職を意識した、具体的な瞬間はありましたか?

長崎さん

当時は出張が多いときは週4日とか家にいなくて。子どもは0歳と2歳くらいでしたし、「これを長く続けられるのかな」という不安は、心のどこかにありました。

ただ、その頃は自分が一番やりたいプロジェクトに入っていたので、辞めるという選択肢はなかったですね。妻も応援してくれていたので、やりきろうと進んでいました。

そんな中で、ちょうどその年の夏に帰省したときですかね。熊本は妻の地元なんですが、普段暮らしていた横浜では子どもを自然の中で遊ばせるようなことはなかなかできませんでした。

ただ熊本だと車で5分も行けば山も川もある。子どもたちがものすごく嬉しそうに遊んで、疲れ果てて縁側でスヤスヤ寝ている顔を見たときに、「本当はこれが正解なんじゃないか。この生命力みたいなものをビジネスにしたり、日常にしたりできないのかな」と思ったんです。

「こういう環境の中で、おもしろい仕事ができるなら、それが自分にとっては一番いいんじゃないか」と、考え始めるきっかけになりましたね。

妻の地元・熊本へ。妻は「私のためなら、やめてほしい」と気遣ってくれた

インタビュアー

周囲からは、「都落ち」のように見られたと伺いましたが?

長崎さん

そう見る人もいましたね。10年ほど前で、転職活動はさらにその少し前ですから、今よりも「都会にいないとできないことが多い」時代でもありました。

自分は圧倒的な納得感で決めていたんですが、周りから見ると、今のキャリアを手放した、しんどい戦いから降りた、というふうに映ったところはあったと思います。特に外資系に行っている友人には、そう映ったようでした。

インタビュアー

それでも決断できたのはどうしてですか?

長崎さん

「自分が一番力を発揮できる場所に行きたい」という軸があったからですね。東京でそれができると確信していたら、東京に残ったと思います。でも、熊本ならできる、という確信を、勝手に持っていたんです。

明確なロジックがあったわけではありませんが、もしできることが無くて、心が折れそうになっても、自分が納得して決めたことなので、見つけるまでやる、という気持ちでした。

インタビュアー

奥様には、転職についてどんなふうに相談しましたか?反対はされませんでしたか?

長崎さん

反対というより、僕のことを気遣ってくれた、という感じでした。「私のために熊本に行く、みたいな気持ちが1ミリでもあるなら、やめてほしい」と言われたんです。

自分の意志でそうしたいのなら否定はしないし、熊本でなくても、どこであっても相談はいくらでも聞ける、と。「絶対に行こう」でも「やめておこう」でもなく、あくまで平等に見てくれていた感覚ですね。

インタビュアー

その言葉を、長崎さんはどんなふうに捉えたんですか?

長崎さん

自分の意志で決めていいんだ、と受け止めました。あの縁側の風景を見たときに感じたことを、自分の気持ちとして大切にしていいんだ、と。

だからこそ、その後の選択も含めて、すべて自分で決めたこととして納得できるまでやろう、と思えたのかもしれません。

いかにして価値を出すか。収入半減から始まった、異業種での再スタート

インタビュアー

実際に熊本へ移って、最初はどんなところからのスタートだったんですか?

長崎さん

2016年1月に再春館安心安全研究所に入社しました。水質環境・食品検査などを行う会社で、これまでと業界も全然違うし、新規ポジションでの採用だったので、自分自身に課せられたミッションも漠然としていたところがありました。

周りから「あいつは何をしているんだろう」と思われそうな役割のスタートだったので、何か価値を出さなきゃ、と結構悩みながらやっていました。

ただ、専門が違いすぎて、良くも悪くも、周りの人たちがどれくらいできる人なのか、自分には分からなかったですし、周りの人も私が何ができる人なのかよく分からなかったと思うので、そこは公平だったかもしれません(笑)。ただ、自分にできないことができる人たちばかりだったので、リスペクトは大いにありました。

最初から業務企画のような役割で、既存の営業もするし、新規事業の推進もするし、予実管理や経営計画の策定、経理まわり、採用や評価など人事まわりも任されるようになりました。

入社して2か月ぐらいで中期経営計画の資料を作って社長にプレゼンしたのは、ソフトバンクでもなかなか経験できなかったので、さすがに緊張したのを覚えてます(笑)。

インタビュアー

収入面については、奥様とはどんな話をされたんですか?

長崎さん

収入が下がるのは間違いなかったので、そこはよく話しました。ただ、「下がるならやめよう」という話ではなくて。

当時は子どもも小さくて、妻は働けなかったんですが、熊本に戻れば働けるという感覚もあって、結局、「あんまり気にしなくていいんじゃ?」という感じになりました。

インタビュアー

実際、どのくらい下がったんですか?

長崎さん

前職の年収を100%とすると、入社時のオファーは約60%でした。ただ、初年度はボーナスが出なかったので、実質的には、ほぼ半分になりました。

インタビュアー

半分になると、生活は苦しくありませんでしたか?

長崎さん

実は、むちゃくちゃお金がなくなった、という感覚は、あまりなかったんです。それこそ東京の頃は、電車移動が基本で、ランチも飲みに行く機会も多くて、出ていくお金が多かったんですよね。

熊本に来てからは、車通勤だったことと、昼食も会社が美味しいものを用意してくれていたので、財布を触らない日もあったんじゃないかという感じで。あと、最初の2年は、妻の実家にお世話になって、月数万円ほどで住ませてもらえました。

それから横浜のマンションも売却でき、実家の近くに新築戸建てを購入しました。本当にどうにもならない、という状況は経験せずにここまで来られました。

インタビュアー

収入自体は、その後どう変わっていったんですか?

長崎さん

そこから4年ぐらいで前職の水準に戻って、COOの時期には、前職の2倍近くになりました。今は、COOの頃よりは下がって、前職とほぼ同じ水準です。

入社7年目でCOOへ。責任が増えるほど、「ねばならない」が大きくなった

インタビュアー

そうして役割を広げていって、入社7年目にはCOOに就任されたんですよね。

長崎さん

実質的にはその前から会社運営を任されていた部分もあったので、タイトルがついて、責任も負う形になった、という感覚でした。

「よっしゃ」というより、「わあ、大変になるかも」の方が正直強かったですね。

インタビュアー

実際、COOとして会社運営を担う立場になって、どうでしたか?

長崎さん

社員46人がどうやったら活躍できるのか、社会も社員も幸せにできる事業をどう実現し続けるかを必死に考えていました。

災害が起こった際には自分の家族よりも、まず会社のことを考えるようになってましたし、正直、これまでのキャリアの中でも一番きつい期間だったかもしれません。

これがやりたい、という原動力ではなくて、「ねばならない」に自分の意識や能力を傾けていく感覚でしたね。

インタビュアー

そんな中で、新規事業にも着手されたんですよね?

長崎さん

COOという役割と、自分の興味、会社が求めること。その3つが重なるところに新規事業があったんです。

成熟した業界だったこともあり、既存事業だけでは大きな成長を描きにくい状況でした。昨対1.1倍いけば良い方で、それにもかなりの努力が必要で。「これだけやって1.1倍か」という難しさを感じる場面もありました。

なので、いきなり100倍になるような、会社の成長を大きく変える可能性のあるものを、社内に作っておきたいと思っていたんです。

COOを降り、もう一度ゼロから。地方にいること自体が、仕事の価値になった

インタビュアー

COOは2年で降りられたんですよね。

長崎さん

経営を担う中で学ぶことも多かった一方で、自分が長く情熱を持って取り組めるのは、組織を運営することよりも、新しい事業をつくることなのかもしれない、と感じるようになっていました。

そもそも任期が2年だったので、「任期通りで」とお話しして、それを汲んでいただく形で新規事業の方にコミットさせてもらえることになったんです。

この新規事業は、もともと自分たちがこういうことをしていきたいとスタートしたものです。誰かに与えてもらったものを引き継ぐんじゃなく、ゼロから自分たちで作っていく。それが自分の気質には合っていたのかなと思います。

インタビュアー

現在は、どんなお仕事をされているんでしょうか?

長崎さん

2024年6月から株式会社再春館共創ラボラトリーに転籍して、バイオサイエンス事業部にいます。

現在は、微細藻類「イシクラゲ」の化粧品原料化や食用への応用、海藻「アカモク」の養殖など、地域にある自然資源を事業として活かす取り組みを進めています。

共通しているのは、単に新しい商品をつくることじゃなく、事業が成長するほど、環境や食糧、地域経済といった長期的な課題の解決にもつながる仕組みをつくりたい、ということです。

イシクラゲはどこにでもいるんですが、台湾や沖縄では食べ物として流通しています。それから、とてもユニークな生物で、乾燥しても死んでしまう訳じゃなく、約100年経ったものでも、水をあげると復活するという生命力に満ちた存在です。

エイジングケア化粧品などの原料として注目されているんですが、抽出できる成分がわずかで高価なため、商品化が難しいんです。

大規模な生産に成功すればコストを抑えられて、一般の方にも届く製品ができるはず。熊本県内の耕作放棄地などが活用できれば、地下水の涵養につながる栽培もできると思っています。

実用化に向けて、この半年でさらに具体化していくフェーズにあると考えています。

インタビュアー

熊本に来て10年ですが、今は「地方で働くこと」をどんなふうに感じていますか?

長崎さん

ここ2〜3年で、都市部にいる知人から「そっちでこういうことできない?」という声掛けを多くもらうようになりました。あと、連絡手段もWebミーティングが進んで、来た当時よりも距離の制約が圧倒的に少なくなりました。

実際にフィールドが必要なものは地方が有利だと感じていて、都市部にいる人たちが情報を早めに察知して、それを「熊本でやったらおもしろいんじゃないの?」って話してくれるのはとてもおもしろいですね。結局、私が一番価値を出せてるのは、熊本にいること自体なのかなと感じることが増えました。

あとは、AIが急速に進化する中で、これからは逆に、土地や自然、食べ物など、デジタルでは簡単につくれないものの価値が相対的に高まってきているのかな、という感覚もあります。

インタビュアー

転職するときに感じていた「熊本ならできる」という確信は、今振り返ってどうですか?

長崎さん

社会人になってから、出世して給料をたくさんもらうことは、実はあまりモチベーションの軸になっていなくて。

もちろん、自分のしたいことをしようとすると、ある程度ポジションを得ないとできる訳がないですが、やっぱり自分が手掛けた事業が生み出されて世の中に流通することを見るのが、仕事でしか感じられないグッとくる瞬間で、それを地方でやりたいと思っていました。

なので、今の事業がカタチになって軌道に乗ったら、自分の中でも、周りからしても、少しは「やったな、あいつ」につながるんじゃないかと思っています。

あの縁側で見た景色から、「この環境から生み出されるビジネスをしたい」と思ったのは、こういうことだったんじゃないかなと。熊本に来たときに実現したかった未来に、かなり近いところまで来ている感覚があります。

仕事も暮らしも、どちらも満たしたい。熊本で見つけた新しい生き方

インタビュアー

仕事の話を伺ってきましたが、暮らしの面では、熊本に来てどんな変化がありましたか?

長崎さん

温泉とバーベキューは至高ですね。特に予定がない日は、家族湯に浸かりに行けば、それだけでめちゃくちゃ幸せになれますし、やりたければ土日どちらも庭でバーベキューができる。川で釣った魚をさばいて、七輪で焼いてたりすると、ほんと良いなぁと何回やっても思います。都会育ちからすると、これは価値がデカいです。

がっつりキャンプに行く、とかじゃなくて、散歩するだけでも、クワガタやカブトムシがいる木にすぐアクセスできるのがいいんですよね。僕は大阪育ちなので、自分が憧れていた「いい暮らしだな」と思うところに、家族で暮らせている、という感覚もあります。

インタビュアー

ご家族と過ごす時間も変わりましたか?

長崎さん

増えました。正直、COOになる前も含めて、働く時間はそこそこ長かったんです。なので、夜ご飯を家族と同じタイミングで食べることなんかも、そんなに多くなかったんですよね。

ただ、この半年ほどは特に、イシクラゲ栽培で畑仕事に行って汚れてしまうこともあるので、その後は在宅で作業することが増えたんですが、家族と一緒にご飯を食べる時間ができるようになって。そうしたら、「みんな、こうやって暮らしてたんや」と、初めて分かったような感覚がありました。

ずっとその時間にいなかったので、家の中で若干浮いていたんですけど(笑)、最近は少しずつ馴染んできたかなと思っています。

インタビュアー

仕事と暮らしのバランスはどう感じていますか?

長崎さん

どちらかを犠牲にしている、という感覚はないですね。

横浜や東京圏内にいても、仕事の充実は得られたと思うんです。でも、熊本のような自然へのアクセスとか、環境、空気、食べ物まで含めた暮らしの豊かさを、同時に得ることは、おそらく難しかったんじゃないかと思います。

一方で、熊本なら、仕事の充実を自分でつくることができれば、仕事も暮らしも含めて、自分としての満足度はとても高いものになる。そんなことを、今は実感しています。

「どっちも満たせる生き方をしたいんじゃないの」と、あらためて気づいた瞬間でもありました。

インタビュアー

熊本への転職から10年。いろいろな変化がありながら、今は「熊本に来たときに実現したかった未来」にかなり近づいているんですね。今日はありがとうございました。

長崎さん

こちらこそ、ありがとうございました。

編集後記

チーフコンサルタント
桝永 健夫

長崎さんの転職支援をさせていただいてから、今年で10年になります。ご入社後も毎年数回は会食し、仕事やプライベートのことを気兼ねなく話せる間柄ですが、今回あらためて真面目にお話を伺えたことは、私にとっても貴重な機会でした(笑)。

印象的だったのは、収入が半分になった時期や、COOとして「ねばならない」に向き合った日々など、決して順風満帆だったわけではない10年間を率直にお話しいただけたことです。

その一方で、経営の立場を退いた今は、自ら立ち上げた新規事業にもう一度ゼロから向き合っておられます。熊本に来たときに実現したかった未来に「かなり近いところまで来ている」という言葉を聞けたことは、転職をご支援した立場として、とても嬉しく感じました。

「地方にいること自体が価値になる」と語られていたように、これから長崎さんが熊本でどんな仕事を形にしていかれるのか、引き続き楽しみにしております。

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