医療機関
上野雄太さん(仮名・事務系総合職) 31歳
安定した人生より、「これから」にワクワクできる人生を。
上野雄太さん(仮名)は、熊本県八代市の出身。東京の大学に進学し、そのまま東京の通信キャリアへ就職。携帯電話の営業や新規事業プロジェクトで活躍していた。周囲から見れば、時代の先端をいく順風満帆な仕事。
だが無我夢中で走り続けてきた20代を過ぎ、30代に突入した頃から、自分の理想とのズレを感じ始めたという。将来性で選んだ会社は、巨大企業に成長。しかし、組織が大きくなり安定すればするほど、自分の存在価値が埋没していくのを感じるようになった。
それと同時に膨らんできたのが、ふるさとへの思い。「人生の最後は、八代で終わりたい」という思いにも背中を押され、Uターンを決意。そして飛び込んだのは、病院という未知の世界だった。「良い意味で、先が見えないワクワク感がありますね」と、上野さんは今、理想の人生にむけた再スタートを楽しんでいる。
(※本記事の内容は、2015年4月取材時点の情報に基づき構成しています)
- 過去の
転職回数 - 0回
- 活動期間
- エントリーから内定まで60日間
転職前
- 業種
- 通信
- 職種
- 営業
- 業務内容
- 大手通信キャリアでの固定・携帯電話や広告などの営業
転職後
- 業種
- 医療
- 職種
- 事務
- 業務内容
- 病院での組織運営に関わる事務業務全般
30歳を過ぎて見えてきた、地元への愛着
現在のお仕事はどんな内容ですか?
地元、八代にある病院で組織運営に関わる事務業務全般に携わっています。大きくもなく小さくもない規模の一般病院です。そのため、ちょっとした日々の雑用業務から、人事管理、労務管理、経営管理まで、幅広い仕事をさせてもらっています。
入社前のご経歴を教えてください。
東京の大学を卒業した後、そのまま東京で大手の通信キャリアに就職しました。さまざまなグループ会社に籍を置きながら、いろいろな仕事を経験しました。
初めは、固定回線や携帯電話の販売営業や販売代理店の管理。退職する前の2年間は新規事業の部署に所属し、広告代理店に対して、インターネットを使った新しい広告販売モデルを提案していました。
転職のきっかけは?
20代のときは、東京での仕事も生活も刺激的で楽しく、何も考えずに無我夢中で突っ走ってきたような気がします。しかし、30歳を過ぎた頃から「これからどうしよう」とふと考えることが多くなりました。良くも悪くも、会社の中での自分の立ち位置や将来像が想像できるようになったのです。
世間の注目を集める大きな会社に所属しており、安定していましたし、給料にも恵まれていましたから、それでも良いと思う方はいると思います。しかし、私の感覚は違いました。大企業の歯車の一つとして先が見えてしまう人生よりも、40代、50代になっても、毎日ワクワクしていられるようなステージに行きたいと思うようになりました。
加えて、やはり地元への想いもあります。「好きな場所で人生を送りたい、八代に帰りたい」という気持ちがどんどん強くなっていきました。地元に住んでいた頃は八代が嫌いで、離れたくて仕方がありませんでしたが(笑)、年を重ねるごとにどんどん愛着が湧いてきました。若い頃「嫌い」だと思っていたのも、「好き」という想いの裏返しだったのかもしれませんね(笑)。
転職活動はどのように進めましたか?
具体的に行動したのは、31歳のときです。最初は大手の人材紹介会社に登録し、メールで求人情報をもらっていたのですが、その頃はまだ眺めているだけで、今の仕事と比べても転職したいと思える求人には出会えませんでした。「いつかは地元に帰りたい」と思っていたものの、その「いつか」がいつなのかは、自分でも分かっていなかったのだと思います。場所が熊本、しかも八代ということもあり、簡単には見つからないだろうと思っていましたし。
そんなときに、インターネットでリージョナルキャリア熊本のことを知りました。熊本の求人に特化しているとのことで、「ここなら、表に出ていない情報があるかもしれない」と登録をしてみました。すぐにUターン転職説明会の誘いを受け、参加すると、たまたま八代で採用している会社があったのです。驚きました。その時に紹介してもらったのが、今の病院です。
今の会社に決めたポイントは?
自宅に帰って調べてみると、病院の歴史は古いのですが、今の会社が経営を継承してまだ2年という新しい組織であることが分かりました。できあがった組織に入るよりも、発展途上の段階で入った方が仕事も面白そうですし、自分のポジションを早く確立して深く組織にかかわっていけるのではないかと、直感的にピンときました。
前職も、私が入社したときは「これから」の会社でした。今ではすっかり大企業となり、その中心で働くのは難しいと感じ始めていたので魅かれたのかもしれません。小さい組織でも、自分で全体を把握できるような仕事や職種に興味があったので、「チャンスが来た!」と思いました。
大手企業をやめることに反対はありませんでしたか?
前職の方からも、地元の知人からも「なんで?」と言われました。「そんな大きな会社をやめて、なんで帰るのか」と(笑)。それはそう思いますよね。ただ、私は周りの意見より自分の直感や感覚を大事にしたかったのです。今踏み切らなければ、後悔するかもしれないと思いました。
加えて、両親のためという気持ちもあります。私には兄が2人いますが、どちらも八代からは離れています。ですから、「私が支えないといけない」とも思っていました。
仕事もプライベートも、伸びしろがたっぷり。野球チームを計画中
転職していかがでしたか?
入ってまだ1年ほどなので、課題はいろいろあるのですが、小さい組織である分、自分の意思で判断して行動できる環境があると感じています。まったく別の業界に飛び込んだので、まだまだ医療業界では新人のようなものですが、その状況にいつまでも甘んじているわけにはいきません。分からないことも多くて毎日が勉強の連続です。しかし、その分自分の中の伸びしろが広がっているように思います。
また、良い意味で「先が見えないワクワク感」があります。まだまだこれからの病院ですから、自分がその「これから」に深く携わって行かなきゃならないという感覚が面白いです。
医療業界は、規制や既存の常識にとらわれがちな業界です。しかし、前職は業界の常識を覆すことで成長してきた会社。そこで得た経験を活かして、新しい風を私が持ち込めるのではないかと思っています。
一つの物事に対していろいろな視点から考えられるように、周りの方を巻き込んで、導いていけると良いなと思います。
生活面での変化はいかがですか?
生活はかなり変わりました。いちばんの変化は、時間に追われる感覚がなくなったことですね。通勤するにも東京では会社まで電車で片道1時間以上かかっていましたから、移動時間だけでもかなりの体力と時間を使っていました。しかし、今は車で20分もかからないので、仕事が終わってすぐに帰宅でき、体力的にかなり楽になりました。
自分の時間も多くとれるようになった気がします。前職のときは、休日も仕事をするような生活で「24時間走り続けること」を求められていたように思います。しかし、今では自分の時間を使って好きな読書をたっぷり楽しんだり、地元の友達と野球をして遊んだり。今年は友達と野球チームを作ろうかと計画しているところです(笑)。
困っていることや課題はありますか?
東京では食べたいものはすぐに手に入るし、したいことはすぐにできるなど、とにかく便利だったので、最初は戸惑いました。こちらではそういうわけにはいかないですから。
また、こちらでは時間がゆっくり流れます。夜寝るまでの時間がたっぷりあるので、はじめは何をしたらいいのか分からなかったくらいですから(笑)。
ただ、ゆっくりいろんなことを考える時間ができたのはうれしいです。これからは時間に追われるのではなく、時間を追いかけていきたいですね(笑)。
地元に転職してよかったと思うことは?
安心してなんでも取り組めるようになったことが大きいです。私の中で前職はあくまでも「修業に来ている」という感覚で、自分自身のことを深く考える余裕がありませんでした。こちらには親や親戚もいるし、友達もたくさんいるので、日々の暮らしにも安心感をもって過ごせます。
あとは、やはり八代に帰ってこられたことがうれしいです。この街が好きですから。「ここで人生を終えても、後悔がない」そう思える場所で暮らせることが、いちばんよかったことです。
転職を考えている人にアドバイスをお願いします。
迷っている人も多いと思いますが、本当は誰しも「自分がどうしたいのか?」に対する答えをもっているように思います。周りの意見を参考にするのも良いですが、結局自分のことを一番よく分かっているのは自分自身なので、本当はどうしたいのか自分自身に問いかけてみると自然と答えが出てくると思いますね。その思いを大事にしてほしいです。
なんとなく今の会社が嫌なだけなのか、絶対に転職したいのか。なぜ転職したいのか?そうやって自分自身に問いかけて決めた答えなら、もしうまくいかなくても、「転職しなければ良かった」とはならないと思います。