転職成功者インタビュー

株式会社RKKコンピューターサービス
山中健二さん(仮名・システムエンジニア) 34歳

自分の強み、ふるさとのよさ、家族と過ごす時間の大切さ。転職が教えてくれた大事なこと。

山中さんは熊本出身のシステムエンジニア。東京の大学院でITを学び、大手SIerに就職。大手流通小売企業の小売・物流システムの開発に携わるなど、横浜を拠点に活躍していた。

その一方でいつも心の奥底にあったのは大好きな熊本のこと。「いつかは帰りたい」という気持ちを抱いていた山中さんがUターンを決意したのは32歳の時。きっかけは熊本地震だった。

現在は熊本地場最大手のシステム開発企業に転職。熊本に腰をすえながら全国のクライアントの要望に応える、という新たなチャレンジを始めている山中さんに、決断のポイントや現在の暮らしぶりを伺った。

※本記事の内容は、2018年10月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
0回
活動期間
エントリーから内定まで142日間

転職前

業種
システムインテグレーター
職種
SE
業務内容
大手流通小売企業の小売・物流システムの開発

転職後

業種
ソフトウェア開発
職種
SE
業務内容
自治体向けのシステムを開発

熊本の両親のため、家族のため、自分のため。すべてが整ったタイミングで「動くなら今だ」と感じた。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

当社は熊本地場最大手のシステム開発会社で、主に自治体向けの総合行政システムと、金融機関向けの事務集中システムを手掛けています。現在私は自治体向けのシステムを開発する部署に所属し、住民記録システムを担当しています。

本社は熊本ですが、全国に拠点展開しており、クライアントも日本各地にいらっしゃいます。私もつい先日まで北海道の某自治体のシステム開発に携わっていました。

入社前のご経歴を教えてください。

東京の大学院を卒業後、大手SIerに就職し、7年間SEとして働いていました。勤務地は横浜。大手流通小売企業の小売・物流システムの提案から、設計、開発、保守、運用までを担当していました。

転職のきっかけは?

理由はいろいろあるのですが、きっかけになったのは熊本地震でした。もともと熊本出身で、熊本が大好き。関東に出てきてからも、長期休暇があれば必ず熊本に帰省していました。

いつかは熊本にUターンしたいという気持ちがベースにありましたが、仕事もおもしろくて、「このまま今の会社でキャリアを積んでいくべきか?」と、いつも気持ちは揺れていました。そんなときに熊本地震が発生。迷うことなく「帰ろう!」と決断しました。

実家の両親も心配でしたし、同じ時期に3人目の子どもが生まれたんですが、当時は仕事が忙しく、会社を出るのが毎日22時過ぎ。子育ては妻に任せきりの状態でした。妻の負担を減らすためにも、お互いの家族がいる熊本の方が子育てもしやすいのではないか、という考えもありました。

仕事の面でも大きなプロジェクトに目途がつき落ち着いたことなど、さまざまなタイミングが重なり、転職活動を開始しました。

転職活動はどのように進めましたか?

まずは大手の転職エージェントに相談したのですが、条件検索でヒットした求人をとりあえず持ってくるという感じで、対応はあまり良くありませんでした。

熊本へのUターンを希望しているにもかかわらず、「待遇がいいから」と福岡の求人を提示されることもあり、こちらの要望を本当に分かってもらえているのかと、不信感を抱きました。

リージョナルキャリア熊本は、偶然ネットで見つけたのですが、私の話をしっかり聞いてくれ、痒い所に手が届くような提案をしてくれたので信頼できました。ですから、面接を受けたのも、リージョナルキャリア熊本から紹介された企業だけ。その中から今の会社に決めました。

今の会社に決めたポイントは?

業種を変えるつもりはありませんでしたが、仕事のスケールは気にしていました。規模が大きく、大変な仕事であるほど成長できると思っていたからです。どれくらい大きい仕事ができる可能性があるのか、という視点で選んだのが今の会社です。

本社は熊本にありますが、全国展開しており、面接でも「熊本の会社としての誇り」という話があり、感銘を受けました。「熊本に腰をすえながら全国を相手に勝負したい!」という気概が、自分と一致したことがポイントですね。

数年ぶりに、明るい時間に帰宅できるように。妻からも「顔がおだやかになった」と。

転職していかがですか?

二つ分かったことがあります。ひとつは、自分が今までしてきた仕事が間違っていなかった、ということです。前職はとにかく忙しく、毎日猛烈に仕事をこなしていました。当時はそれが当たり前だと思っていましたので、違和感もなく一生懸命働いて、自然と鍛えられたんですね。そのおかげで、力がついていたと実感することができました。

もうひとつは、新しい会社で1から始めるのは大変だということ。周りが自分のことを知らず、自分も周りを知らないという環境の中で、どうやったら仕事を拡げていけるのか、自分で模索しないといけません。

私の場合は、会社のことを理解するという目的で、入社当初は品質管理部に配属してもらいましたが、一年経過したころ、現在の部署への異動を願い出ました。会社の根幹となる重要な部署で経験を積むことが、自分のバックボーンになると考えたからです。転職すると、バックボーンがなくなるんですよね。そこをなんとかしたかったんです。

転職して良かったと思うことは?

「熊本に帰ってきた!」ということが何にも勝る「良かったこと」です。ふるさとの自然を見ているだけでほっとするし、単に帰省していたときとは違う、ゆとりを感じます。

今の時代はどこででも暮らせるじゃないですか。それなら熊本がいい、というのが今の実感です。熊本は水も違いますからね。水道水がミネラルウォーターなので(笑)。子どもたちもこの環境でのびのびと育ってくれるといいなと思っています。

仕事の面でも、自分がこれまで身につけてきたものを再確認できました。自分の軸が確認でき、これからそれをどう活かしていくか、という方向に視点が変わった気がします。

困っていることや課題はありますか?

前の会社との違いには、戸惑いました。「システム開発」と一言にいっても、システム構成や管理の仕方など、仕事の流れが会社によって異なります。しかし、そこを押さえないと組織に入っていけないので、理解するまでは大変でした。

また、覚悟はしていましたが、収入は前職と比べると下がりました。家を建てたので、これから頑張らないといけないと思っています。

生活面の変化はありましたか?

今は熊本に家を建てて、家族で暮らしています。最初はお互いの実家の中間の場所を、と話していたのですが、妻の実家のすぐ近くの場所になってしまいました(笑)。妻にとってはその方が便利ですからね。

会社までは自転車とバスで50分。熊本では遠い方のようですが、以前は満員電車で1時間以上かけて通っていましたから、それに比べたら楽です。帰宅も19時頃で、明るいうちに帰宅することはもう何年もなかったので、すごく新鮮でしたね。

妻からも「顔が穏やかになった」と言われます。転職する前は四六時中仕事のことを考えていて、張り詰めた顔をしていたそうです。今は、子どもたちと食事をしたり、風呂に入ったり、寝かしつけたり、少しは手伝えるようになりました。妻も喜んでくれているし、私自身も非常に嬉しいですね。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

大事なのはタイミングだと思います。決断するのは自分で、責任をとるのも自分。不安やリスクはいろいろあるでしょうが、「ここだ!」というタイミングを見つけたら、積極的に動いていいのではないでしょうか。「やってみたらどうにかなる」というのが、私の今の感想です。

また、後悔しないために、一番やりたいことは何かをはっきりさせることも大事だと思います。私にとっては、それが「熊本に帰る」ということでした。一番やりたいことが達成できていれば、それだけで成功ですよね。

それから、リージョナルキャリア熊本に相談したことも良かったと思っています。熊本に根差して活動しているし、大手の紹介会社にはできないような細かい相談もしやすかったので助かりました。

企業に対しても、例えば待遇の希望など、自分では直接言いづらいことも的確に伝えてくれ、交渉もしてくれました。

転職活動をしていると、分からないことや不安なことがたくさん出てきます。それをうまくくみ取ってくれるのが、良い紹介会社の条件だと改めて思いました。

担当コンサルタントから

チーフコンサルタント 
桝永 健夫

2016年4月の熊本地震以降、親元や家族のもとで暮らしたいと、Uターン転職を希望される方は後を絶ちません。しかし、想いはあるものの、「年収の壁」や「職種の壁」で決断に至らないという方が多いのも事実。そんななか、山中さんは覚悟をもってご相談に来られました。

ご夫婦ともに熊本出身、奥様の実家は益城で深刻な被害を受けられたそうです。年収ダウンよりもUターンすることが最優先というお気持ちでした。

数社ご紹介させていただきましたが、どこからも「ぜひ来て欲しい」というオファーが殺到。ご本人の能力ももちろんですが、「本気度」が伝わったのだと思います。採用する側も人間ですから、理屈をこね回すよりも、案外気持ちを大切にするものです。

入社して1年半、会社のやり方に慣れることを優先されてきたとのこと。“能ある鷹は爪を隠す”が、転職先で活躍するための鉄則!私も同感です。

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